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小石医院沿革

小石医院沿革

初代 小石 李伯

二代 小石 元俊 (1743年~1808年)

徳川吉宗(8代将軍) の時代に生まれる。

安永6年(1777年)から京都、 天明8(1788年) から寛政8(1796年)まで京都大火のため大阪にうつる。1796年(寛政8年)京都に戻る。
1799年(徳川家治(10代将軍)の時代)医学塾究理堂を開設

三代 小石 元瑞 (1784年~1849年)

四代 小石 中蔵 (1817年~1894年)

五代 小石 第二郎(1850年~1908年)

六代 小石 暢太郎 (1881年~1944年)

七代 小石 巌 (1917年~1946年)

1796年(寛政8年)初代小石李伯の息子二代目元俊は、京都市中京区釜座通竹屋町下る亀屋町335番地(本家www.koishi-i-in.com)に移り、1799年医学塾究理堂を開設しました。以来小石家は、代々医をなりわいとし、今日に至っています。 
二代目元俊は、杉田玄白、篠崎三島、慈雲飲光らと親交を結びました。その子三代目元瑞の時代には、門弟は、遠く越後や越中からもやってきたそうです。
三代目元瑞は、緒方洪庵、頼山陽、田能村竹田ら医者・文化人と親交がありました。
彼らの医学は、漢方に飽き足らず、関西ではいち早く蘭学を取り入れ、親試実験の気風に富んでいました。
四代目中蔵は、幕末に種痘の普及に功績がありました。究理堂は、明治の半ばまで続きました。
五代目第二郎は、明治初年長崎オランダ医学校で学び、東京帝国大学初代学長長与専斎と親交がありました。
六代目暢太郎は、宇和島市民病院2代目院長を務めました。
七代目巌は、京都帝国大学で学びましたが、第2次世界大戦後に若くして病没しました。
父小石哲夫は七代目巌が亡くなった時すでに家を出ており、後を継ぐつもりもなかったため分家となり昭和38年に病院勤めを止め桂で皮膚科を開業いたしました。
平成2年から小石和夫が哲夫の後を継ぎ皮膚科を開業いたしました。

皮膚科 京都市西京区 阪急桂駅西へ300M 完全予約制

小石医院

TEL075-381-4687

京都府京都市西京区桂坤町16-2

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